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2016.05.27 クラシック
マスターです。最近、聴いたクラシック音楽です。

ワグナー歌劇『タンホイザー』 巡礼の合唱


同 序曲


同 夕星の歌


ワグナー歌劇ローエングリン序曲


同 エルザの大聖堂への行列


同 婚礼の合唱(いわゆる結婚行進曲)


ワグナー楽劇『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と「愛の死」
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2016.05.27 ミンネ
ミンネ(Minne。ドイツ語) 騎士道的愛、宮廷的愛(courtly love)のこと

http://mckotori.jugem.jp/?eid=157から
19~20世紀を生きたフランスの歴史学者シャルル・セーニョボスは言いました。
 12世紀の偉大なる発明、それは恋愛だ――と。
 12世紀までの時代の男女の関係は、経済的行為としての結婚と売春と欲情にかられたレイプ的な行為が主で。精神的な愛情を重視する形での関係はなかった、とされています。そこに登場した恋愛という関係は、まさに新しい人間と人間の関係だった、というわけです。
 それが「発見」されたのは、南フランスの宮廷社会でのこと。騎士が貴婦人に誠の愛を捧げるという「騎士道恋愛」(宮廷風恋愛)こそが、今にいう恋愛のルーツだといいます。

 騎士の愛の対象は身分の高い既婚の女性であり、その愛が報われることはなく‥‥。それでも一途にひたむきに、騎士は貴婦人を愛し抜いたといいます。
 恋愛は、自らに試練を課し、精神を高めていく行為。恋愛の美徳は、愛する人のために命を投げ出す純粋さ。そして、愛する人から与えられる好意の表現が、その人を愛する者に勇気を与える――
 これぞ、恋愛の王道! って感じの関係。といえるでしょうか。

 「騎士道恋愛」には、テキスト本ともいうべきものが存在します。
 フランス・シャンパーニュ地方の古都トロワ。ここの宮廷の女主人であったシャンパーニュ伯爵夫人マリーと、その母エレアノール(フランス王妃となり、のちにイギリス王妃となったことでも有名な有能な女性)がベースを作り上げたというその本には、『愛の規則31か条』とされる恋愛のルールが記されています。

● 結婚は恋愛を妨げる真の口実とはなりえない
● 嫉妬しない人は愛することができない
● 愛は常に増大するか減少するものである
● 愛は常に貪欲の宿るところと相容れないものである
● 容易に手に入る愛は軽視され、困難なほどその愛の価値は高まる
● 誠実な人柄のみが愛に値するものである
● 真の嫉妬心は愛情をより大きく育む
● 愛する人が与える愛の慰めに飽きることはない
● 愛する女性を突然目にすると、恋人の胸は高鳴る。
● 新しい恋は古い恋を追放する。
● 嫉妬心のない者は恋することができない。
● 愛する女性を疑うとき、嫉妬が増し、その結果恋も増す。
● ほんのささいな憶測から恋する人は愛しい人に疑いをいだく。
● 恋する男性の思いはすべて愛しい女性への思いへといたる。
2016.05.27 愛と死
エロスとタナトス
映画『死ぬまでにしたい10のこと』で、死を宣告された女性アンは、死ぬまでにしたいことを10個列挙する。
1.娘たちに毎日愛してるという。
2.娘たちの気に入る新しいママを探す。
3.娘たちが18歳になるまで誕生日のメッセージを贈る。
4.家族でビーチへ行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思ってることを話す。
7.夫以外の人と付きあってみる。
8.男性を夢中にさせる。
9.刑務所のパパに会う。
10.爪とヘアスタイルを変える。

ここで、7と8は、夫以外の男性を愛し誘惑する「不倫行為」であり、違和感を抱きかねない。
だが、夫との穏やかな落ち着いた「家族愛」ではなく、男と女の許されない「情熱的恋愛」を経験したいという欲求は、死を目前にした人にとっては渇望の対象なのかもしれない。
ここに、究極の愛は、死に等しい価値であるという考えが発生する。

愛と死・・・エロスとタナトス LiebeとTot loveとdeath

トリスタンとイゾルデ、ロミオとジュリエット、オセロ、アンソニーとクレオパトラ といったヨーロッパの伝説がこれを裏付ける。
死に行くジュリエットの最後の言葉
「おお、ありがたい剣。この胸がおまえの鞘。(刺す)そこにお眠り、そして私を死なして。(ロミオに折りかさなって、死ぬ)」
”O happy dagger, This is thy sheath;(Stubbs herself)there rust, and let me die.”

ところが、16、17世紀の英語におけるdie(死ぬ)には、”To experience a sexual orgasm”(オーガズムを経験する)という意味がある。
すると、剣(dagger)は、ロミオのペニス、胸=鞘(sheath)は、ジュリエットのヴァギナという暗喩があることになる。すなわち、失楽園的に、挿入したまま死ぬ、永遠の、そして愛の結合という意味になる。

★映画を見た人の感想
不倫という行為に対して拒否感はなかった。それをエゴというには彼女は家族を愛し
すぎている。最後の恋は美しかった。23の若さで死んでしまうことを思えば、穏やか
な家族愛と燃えるような恋も両方手に入れたい、という最後のわがままを責めること
はできない。それに彼女は、自分の死後夫も子供も自分以外の女性を愛することを望
んでいる。自分が泡のように消えることを恐れず、後に残された者の幸せを願い、切
なく美しいラストダンスで人生の最後を飾る。潔いと思った。

普通によかった。したい事の一つとして浮気は最初いただけないと思いましたが、観
終わった後で、17歳で初恋の人と結婚&出産して23歳で残りの2、3ヶ月の命の人間と
して結構普通なんじゃないかと気づきました。

死ぬと判って初めて普通のことが生きている喜びなのだと気付くのは目新しくありま
せんが、彼女が望むことはどれも素朴なものばかりでリアルでした。ただ、夫以外の
男を巡る「目標」だけは共感できませんでした。この辺は男女の感じ方の違いなので
しょう。ラストも変にきれいにまとめてないのが良かったです。

家庭があり、可愛い子供がいて、頼りないけれど愛してくれる夫がいて…
こんな環境で死を宣告されたならば、私は他に男を探そう何て思えません。
いくら不満がある人生だったとしても、死ぬとわかれば尚更大切にしたくなる…
それが普通の母親の心理では無いでしょうか。

正直アンの行動には、賛否の分かれるものもあると思うが、これまでのあまり恵まれ
たとはいえない自分の人生を後悔する事もなく、残された期間に、普通の人達の多く
が経験したりこれから経験するようなこと(異性のとの極普通の恋愛経験や、子供の
成長を見守ること)のほんのいくつかのことをなそうとする姿は、あまり責めようと
いう気にはなれなかった。

夫しか知らなかったアンが、死ぬ前に他の人と恋愛してみたいという気持ちは良く分
かるけど、あまりに堂々としていて全く罪悪感がないのが嫌でした。

この映画は、好きな映画ベスト3に入るくらい好きになりました。
主演のサラ・ポーリーの演技には感動しました。「透明感のある」という表現が適切か
どうかはわかりませんが、サラも映画自体もとてもきれいな印象を持ちました。
「だんな以外の男性と恋をしてみる」というのも、共感できました。17歳で妊娠した結
婚し、だんな以外の男性を知らないのなら、そのような項目がでてくるのも当然だと
思います。

主演のサラ・ポーリーが説得力のある演技を見せる。死を前にして動揺や懊悩を抱え
ながらも決して人前では乱れない二四歳の女、という極めて難しい役どころをナチュ
ラルに演じきる技量には脱帽である。「死ぬまでにしたいこと」の中に「(夫以外の男
と)恋をする」という項目が含まれ、それが実践されてしまうところに不快感を覚え
るオーディエンスも少なくないのだろうが、個人的には「あり」だと感じた。なぜ、
「あり」と感じたのかは分からない。分からないが、一つだけ確かに言えるのは、「生
き方」「死に方」に理想のマニュアルなどはないということ。佳作。
2016.05.27 セメレー

wikipediaから
(ギリシャ神話)ゼウスは密かに人間の姿をとってセメレーと交わり、セメレーは身重となった。このことを聞きつけたヘーラーは、嫉妬心を燃やした。ヘーラーはセメレーのかつての乳母であった老婆に身をやつし、セメレーに近づいてこうそそのかした。「あなたの交際相手は、本当は恐ろしい化け物かもしれない。怪しいと思ったら、本当の身分を明かすように言いなさい」。セメレーはこの忠告に従い、ゼウスに「愛の証に私の願いを一つ聞いてほしい」と持ちかける。ゼウスが「ステュクス川に誓って必ず叶える」と約束すると、セメレーはゼウスに真の姿を見せるよう迫った。雷火をまとった神の本性を現せば、生身の人間の体では耐えきれず、たちどころに焼け死んでしまう。ゼウスは約束したことを後悔したが、ステュクス川にかけた誓いは神といえど背けない絶対的なものであった。ゼウスは変身を解いたが、セメレーはまばゆい灼熱の閃光に焼かれて絶命した。(あるいは、正体を明かすように迫ったが、ゼウスがこれを聞き入れないので、セメレーは本当の姿を示さない限り寝室に入ることを許さないようにし、ついに怒ったゼウスが雷光に包まれた真の姿を現し、セメレーは雷光に当たって焼け死んでしまった、とする話もある。)
セメレーの胎児はヘルメースが取り上げ、ゼウスの大腿のなかに縫い込んだ。この時胎児は6ヶ月であり、さらに3ヶ月後に誕生したのがディオニューソスである。ディオニューソスは、このために「二度生まれた者」「二つの門の子」などと呼ばれる。
古代ギリシアの地にディオニューソスの信仰が確立され、神の座を占めるようになったとき、彼はレルネーの底なし沼を通ってタルタロスに下った。ディオニューソスは、ギンバイカの木をペルセポネーに贈り、これと引き替えに母親のセメレーを連れ戻した。ディオニューソスから神性を分け与えられたセメレーは女神となった。セメレーはトロイゼーンのアルテミスの神殿に入り、そこから天に昇った。ディオニューソスは、他の死者たちがセメレーを嫉妬したり、憤慨したりしないように、母の名前を改め、テュオーネーとして神々に紹介したという。
マスターです。
私の経験では、女性は大きく2つに区分できます。
1 電マの刺激で、クリが感じる。クリでイク。
2 電マの刺激が強すぎて、クリで逝けない。(だが、もっと弱い刺激でならばクリでイケる。)

このうち、1は、ほとんどの女性を中逝きへ誘導できる。2は、難しい。2の女性は、普段のオナニーを弱い刺激でしていて、イクときも実は「浅い」。
どうも、私の見立てでは、弱い刺激でオナニーする女性は、オナニーやクリでイクときのオーガズムが浅い。刺激が強いとオーガズムも深い。

だから、女性には、「クリトリスを鍛える」ことを推奨する。
2016.05.08 沖縄にて
マスターです。
4月は沖縄等へ出張してまいりました。沖縄での相談例中、2つをご紹介します。

1 40代前半
  スタイルが良い女性。性の知識は非常に豊富で驚いた。乳首へのトリートメントだけで逝ってしまったのは驚き。
  電マが合わないのか、なかなかクリではいけなかった。クリでいけないと、なかなか中逝きへは誘導できない。
  膣内の刺激を丁寧に時間をかける必要があるからだ。だが、それは女性にも体力を要求する。

2 40代後半
  何年もセックスしていない、中で逝けないということだったが、私が普通にしたら、中で逝ってしまった。しかも、連続中イキ。
マスターです。最近は、ブログ更新が滞りがちで申し訳ございません。

さて、最近私が考えていることというか、興味あることは。。。次のようなことです。

1 キリスト教的禁欲主義は、どのように今日の状況に変化したのか?
  宗教改革でプロテスタントが発生したからか??

2 私がもっとも好きなクラシックである、ワーグナーのオペラ「タンホイザー」は、キリスト教的禁欲とヴィーナス的肉欲の戦いを描いている。だが、ヴィーナス的肉欲を全否定し切れていないとの解釈がある。それはなにか?

3 ヴィーナスは、男性を肉欲の世界に誘惑する「悪いもの」として描かれているが、私もまた女性を肉欲の世界に誘惑する「悪いもの」なのか?

4 クリトリスへの強い刺激に慣れていない女性に、強いオーガズムを提供する方法